最高裁といえども所詮行政の手のひらの上と聞いたことがある

 (↑たしかフルフォードの本)

表現の自由」と高額訴訟−フリージャーナリストへの「口封じ」攻撃 http://www.news.janjan.jp/media/0808/0808124404/1.php を読んで思ったことなぞ。

この記事だけを根拠にして言えば、ひどい話。(別の視点、会社側からの見解は出てきてない様子。見てみたいけど)

この中で、批判されたくない・イメージを落としたくない企業は訴訟というカタチで圧力をかける。それも立場の弱い記事執筆者個人に。誰だってただ批判をされたくはないのだけど、それはまた悪手だろう。

どうなんだろう、キヤノンコピー機以来、裁判に強いイメージはあるけど、そういう力を無闇に使っていいものかね。納得できる理由が出てくるといいなぁ。
記事中の他の件(読売・オリコン)もね。

  • オーバーキルででも、速やかに黙らせたいのかもしれない

この手の情報では、悪くすると、731!キヤノン会長(の叔父)!と騒ぎたてる輩が出てくる。その際、どういう関わり方だったのか、現体制と関連があるのか、どこかに問題はあるのか、といった点は、大した問題はないと説明可能だろう。しかし、注目されない。

騒ぎ立てる題材があることが大事で、のせられ易い客層がまた居る。こういうワイドショー向け報道が大いに有りうるし、ブランドイメージも商品に備わる企業としては直ちに沈黙してもらいたいのではないか。

元をたどると、大マスコミによるワイドショー報道と、それで踊るのが大好きな視聴者を恐れている、という解釈は、理由の一つとなりうるかもなぁ。と。

  • 操りやすい大衆のほうが都合が良い

 ・・のは一面の真実かもしれないけど、他人のもっともらしい話(ワイドショー的な・似非科学的な・ねずみ講的な)に脊髄反射で迎合しない程度には教育しないといけないと思う。民主国家としては。

論理的な主張を出来る口、批判を聞きいれまた退ける耳。ついでに、人のふり見てわがふり直せる目、自分と周りが腐ってないか嗅げる鼻。